2009年11月06日

薬物使用 公衆衛生的悪? 

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江ノ電もなかのお店  Photo by atom

酒井法子の覚せい剤使用によるマスコミの反応の仕方に異常を覚えた私であった。
良く分からないのだが、それほどの罪なのであろうか?
本当に刑事事件なのであろうか?

という疑問であった。

覚せい剤欲しさに強盗したりするのは、重い犯罪であることは簡単に納得できる。しかし、覚せい剤の自分への使用では、それほど重い罪をかせなくてもよいのに、と思ってしまったのである。
もし、自分への薬物投与が重罪ならば、自殺ほど重罪は他にないだろうという理論になってしまう。

2009年11月5日の朝日新聞に載っていた。
薬物使用
刑事的悪か公衆衛生的悪か

佐藤哲彦 さとうあきひこ 熊本大教授(社会学)

納得してしまった。
やはり、私の動物的感覚は鋭いと思ってしまったわけである。

薬物使用
刑事的悪か公衆衛生的悪か
佐藤哲彦 さとうあきひこ 熊本大教授(社会学)

 9月下旬、ベルギーで開かれた欧州連合(EU)の委員会主催の薬物政策に関する研究学会に参加した。 薬物政策という言葉は日本ではなじみがないが、薬物や薬物使用者の処遇に関する政策を意味し、国際的には刑事政策や保健医療政策にかかわる社会政策の一つである。

 欧州では、ヨーロピアン・アプローチと呼ばれる独特の方法で薬物使用者を処遇している。その特徴の一つは、薬物使用は公衆衛生上の問題という認識である。米国や日本の薬物使用者に刑罰を加えるアプローチと異なり「薬物依存は病気である」という認識が政策の基礎にある。そのために各国は、代替薬物への置換療法、注射器の交換サービスに代表されるハーム・リダクション(薬物に起因する害を減らす政策要素)を組み合わせた政策を採用している。

 薬物使用を助長するのではないかとの懸念が生じかねないが、実際にはそうでもない。前者は治療やリハビリテーションヘのアクセスを促し、後者は注射器の再使用による感染症を防ぐためのものだからだ。

いずれも「取り締まられるべきは供給側」という共通認識に基づいている。欧州では、米国が中心として進めできた取り締まり中心の「薬物戦一(War on Drugs)」は、効果が上がらなかったことから、実質的に敗北したとする人も多い。「薬物戦争は失敗だった」との見方を示すオバマ政権では今後、薬物政策を「チェンジ」し、医療的な対策を組み込んでいくことが予想される。

 一方、日本では酒井法子被告をめぐる報道でも明らかなように、薬物使用者は極悪人であるかのように扱われ、そう扱うことも当然視されている。

しかし、覚せい剤取締法はそもそも、密造や密売を防ぐ目的で51年に制定されたものである。当時覚せい剤使用者として問題とされた戦災孤児らは、むしろ密売者に利用される被害者ととらえられていた。警視総監の国会証言などでも常用者は病人であるとされていた。

ところが53年の朝鮮戦争休戦後の東西冷戦期に、共産主義国家が覚せい剤を用いて日本を攻撃しているという風評や認識のもと、使用者も含めて大々的に取り締まりが展開されるようになった。

これは54年から55年ごろに見られる変化であり、いわば薬物政策の55年体制である。

米国がアヘンや大麻を禁止することで中国人移民やメキシコ人労働者を排斥し、使用者を刑務所に隔離する政策を採ったと同様、政治的に「外部から来る悪」への対策という発想がその基礎にある。

それが欧州の、薬物使用者を社会内部で治療的に処遇する姿勢とは異なる一因でもある。薬物が悪いものであり、その使用が問題だということは論を待たない。しかし、それが刑事的悪なのか公衆衛生上の悪なのかといったことを私たちはもう少し真剣に考え、議論してもいいかもしれない。

薬物をやめられないことが問題なら必要なのは刑事処分ではなく、医療的措置であるとも考えられるからである。

posted by 帰ってきたイカルス at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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