2009年10月22日

宗教観  これでも仏教徒 その18

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仏教聖典の「仏の救い」が今回で最後になる。

前回は、すこし掲載が長かった。今回は短い。次回は「はげみ」

ここで、重要なことは
「 もし人が、この仏の名を聞き、この教えを信ずるならば、仏たちに守られ、この上もない正しいさとりを得ることができるのである。」

このひとことに尽きるのである。

第2節 清らかな国土

 1.この仏はいま、現にいて、仏を、説いている。その国の人びとはみな苦しみを知らず、ただ楽しみの日のみを送るので極楽というのである。


 その国には七つの宝でできた池があり、中には清らかな水をたたえ、池の底には無全の砂が敷かれ、車の輪のように大きい蓮花が咲いている。その蓮花は、青い花には青い光が、黄色の花には黄色の光が、赤い花には赤い光が、白い花には白い光があり、清らかな香りをあたりに漂わせている。


 また、その池の周囲のあちこちには、金・銀・青玉・水晶の四つの宝で作った楼閣があり、そこには大理石で作った階段がある。また、別の場所には池の上につき出た欄干があり、宝玉で飾られた幕で取り囲まれている。また、その問にはよいにおいのする木々や花がいっぱいに咲いた茂みがある。


 空には神々しい音楽が鳴り、大地には黄金の色が照り映えて、夜昼六度も天の花が降り、その国の人びとはそれを集め花皿に盛って、ほかのすべての仏国へ持ってゆき、無数の仏に供養する。


 2. また、この国の園には、白鳥、孔雀、おうむ、百舌鳥、迦陵頻伽(かりょうひんか)など数多くの鳥が、常に優雅な声を出し、あらゆる徳と善とをたたえ、教えを宣布している。


 人びとはこの声を聞いて、みな仏を念じ、教えを思い、人の和合を念ずる。だれでもこの声の音楽を聞くものは、仏の声を聞く思いがし、仏への信心を新たにし、教えを聞く喜びを新たにして、あらゆる国の仏の教えを受ける者との友情を新たにする。

 そよ風が吹き、宝の木々の並木をよぎり、輝く鈴をつけた網に触れると、微妙な音を出し、一時に百千の音楽がかなでられる。この音を間く者は、また自然に仏を念じ、教えを思い、人の和合を念ずるようになる。その仏の国は、このような功徳と実しい飾りとをそなえている。



 3. どういうわけで、この国の仏は無量光仏、無量寿仏と名づけられるのであろうか。かの仏の光は量ることができず、十方の国々を照らして少しもさえぎられない。またその寿命も限りがないから、そう名づけるのである。そして、その国に生まれる人びとも、みな、ふたたび迷いの世界にもどらない境地に至り、その数はかぞえ尽くすことができないからである。また、この仏の光によって新しい命に目覚める人びとの数は無量だからである。

 ただ、この仏の名を心に保ち、一日または七日にわたって、心を一つにして動揺することがないならば、その人の命が終わるとき、この仏は、多くの聖たちとともに、その人の前に現われる。その人の心は顛倒(てんどう)することなく、ただちにその国に生まれることができる。


 もし人が、この仏の名を聞き、この教えを信ずるならば、仏たちに守られ、この上もない正しいさとりを得ることができるのである。

posted by 帰ってきたイカルス at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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