2009年12月15日

真夜中のメロンパンの怪



しまったぁ〜! 7時10分前だ。急がなければ!

家人が何か云っている。
夜中にメロンパンをたべたの パパでしょ!2個あったはずなのに今朝1個しかないの!

自分の口の周りを手でなでてみた。別に異状はない。
舌で歯の表面をなでてみる。つるりとした感覚がある。
私ではない。 いや、絶対に私ではない。

パパでしょ、じゅうたんの上にメロンパンの粕が残っているし、と。

身に覚えのないことだ。何かの間違いだ。濡れ衣だ。

昨日、夜遅くテレビの前でごそごそやっていたでしょ!

そんな小さなことで私はウソをつかない、といっても信じてくれない。
小さなほうの家人はもう既に学校に行ってしまったらしい。
会社から戻ってくるころには、この事件に終止符が打たれることだろうと早々に出勤した。


会社から帰ってきたところ、まだうたがわれているらしい。今度は小さな家人まで一緒になって私のせいにする。女はこれだから困る。十分な証拠もなく、状況だけで判断する。こっちも理論的な反論も出来ない。
こういうときは、笑ってごまかすしかない。しかし、下手に笑ってごまかすと疑われたままとなる。
ここは、真剣に考える必要がありそうだ

室内犬が2匹いる。口の周りを嗅いで見る。メロンパンの匂いはない。もう既ににおいが消えてしまったのかもしれない。メロンパンがあったのはテーブルの上らしい。夜中にリビングに出た気配はないという。


疑問が残る。
本当にメロンパンがあったのか
あったとして、それがなぜなくなったのか
また、それは深夜になくなったのか

もしかして、家人のほうの勘違い、はたまた、アルツ????

なんとも平和な家庭である。
posted by 帰ってきたイカルス at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月14日

ほんの選び方  生きる

IMG_9269.jpg


昨晩、娘をピアノへ送っていき、自宅の近くのBOOKOFFに立ち寄った。
いつもは、経営、コンピュータ、宗教の本を選ぶのだが、今回は小説を中心に探した。

もちろん105円のものばかりである。

「東京タワー」 りりーフランキー
「犯人に告ぐ」 上下 雫井脩介
「博士の愛した数式」 小川洋子
「陰陽師」 夢枕 獏
「ターンオーバー」 フランシス 河野
「生きる」 畑 正憲
の7冊である。

まず、文庫本の「生きる」を読み始めた。これは、生きるの死ぬのといった人生の小説ではない。アメーバーから始まって、原始的な生物、プランクトン、魚、かえる、などの生態、特に生命の不思議を顕微鏡で観察した話である。

アメーバはどうやって動くのか、食物をどのように食べるのかに始まって、ガラスの針で分割してみたり、ゾウリムシを食べさせたり、鉄分を食べさせたりしている。
水道水のようなものから、水溜りの水で監察してみる。アメーバはきれいな水を好むという。しかし、水溜りや沼ではきれいな水とは思われない。
しかし、アメーバにとってすみやすい水がきれいな水なのであって、何も含まれていない水はたとえ純水であっても生活していくには難しいのである。
つまるところ、芳醇なえさやその循環が行われていることが、きれいな水なのである。

アメーバは、分裂して増える。

多くの生物は、オスとメスがいて、交尾してたまごを生む。

人間の場合は、未熟な状態で赤ちゃんを産む。自分で歩くことさえ、頭を持ち上げることさえ出来ない。
それは、脳を大きくさせるためである。
生まれて、産声を揚げる。初めての肺呼吸をする瞬間である。乳を飲むのも母親に抱かれて飲む。
生命維持は母親に頼りきっている。

そして大きくなり、性ホルモンが出て、男の子・女の子から男性らしさ、女性らしさが出てくる。

生物学的には、おそらく生殖活動が行える段階からが大人というのであろう。そうすると、人間の場合、13歳から15歳からであろう。

現在の成人が20歳であることを考えると生物学的な大人とずいぶんと離れているように思われる。
18歳にしようとする動きがあるが、私はある意味では良いことだと思っている。

人間社会は、複雑である。家族、近所、地域、県内、日本国、世界と徐々にそれもダイレクトに自分たちの生活に影響している。
それらをすべて知識の上において、判断できるようになるのにはやはり、18歳くらいの年齢が必要なのであろう。
算数・数学・物理・外国語・美術・体育・社会・歴史・宗教の基本体系が身についていれば応用がキク。


なんだか、「生きる」から外れてしまったようだ。

もう少しで読み終わるところだ。生物がようやく陸地に上がったところ、

さて明日にしよう。


posted by 帰ってきたイカルス at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

実験計画法

IMG_9516-ff14d.jpg


実験計画法を試している。使っているソフトは、Minitab15(英語版)である。これを使って、ゲージR&Rという項目を先日から、行っている。

いわば、何かを測るためには、測定機器を配置した測定システムと被測定物が必要である。
また、測定する人間が必要となってくる。

こうした場合、被測定物=部品:10こ、測定員:3人、測定回数2回とする。
ここで、60個の測定データが得られる。

この60個のデータ、
 データには部品生産誤差、測定システムの誤差、測定員の誤差、が含まれている。それを、Minitab15を使って、統計的処理を行うことをやっている。

ところが、出てきたデータは、あまりにもそろっていて、ほとんど差がない。
実験の測定システムも部品も測定員も誤差がないということで、すばらしい測定結果であった。
統計的な処理をしなくても、問題がなにもない。

で、Minitab15で分析しようとしたが、誤差がどこにも含まれていないので、計算がうまく出来ないのである。困った。

すべてがうまくいっているとそれを検証する統計的な手法が使えなくなってしまったという矛盾が生じてしまった。

仕方がなく、測定データにEXCELでRAND()関数を利用してランダム値を付加した。ランダムをA,B,Cの3人の全データに付加したものをデータとして
また、測定者Aのみのデータにランダムを付加、Bのみ、Cのみと
ほかに部品1,2,3にデータにランダムを付加した。

なんとなく、Minitabのデータとして、使えそうなデータは、部品1,2,3にランダムを付加したものであった。

すると、ただランダムを付加するのはよくないらしい。正規分布になるような重み付けしたランダムを付加しなければならないのである。

イヤー何をしてるんだろうか。

どんなデータが理想化と云うと、学生のテスト結果みたいなものがよい。
つまり、平均点のところに集まる点数が一番多く、0点・100点に近づくと少なくなるような釣鐘のような分布をしていると良いようだ。

何せ統計学、統計学的方法、統計学の言葉まったく難しい。
T仮説、帰無仮説(きむかせつ)、95%において有意性がある。Cpm、Cpk

その上、Minitab15は、英語版である。

いやになっちゃうぜ。

EXCELで重み付けできるランダム関数なんてあったけ。

ああ、今宵もまた眠れぬ夜がやってくる。
posted by 帰ってきたイカルス at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | PC TIPS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月11日

レコードの再生  レコードプレイヤの再生

IMG_9490-379ca.jpg


家で眠っているレコードを聞きたくなって、USBレコードプレイヤーを1万円弱で購入したところ、こいつがまったくのだめで、針飛びがひどく、1曲も聴ける状態でなかった。新品なのに。

これがきっかけで、中古のレコードプレイヤーを再生することになった。レコードを再生するためにレコードプレイヤの再生。
これまた、たまごが先かニワトリが先かの話のよう。

Yahooのオークションで中古のレコードプレイヤーを落札した。
梱包の仕方も悪かったせいで、ターンテーブルが回らなかったが、回転軸の軸受けのストッパー部品が外れていたのでを挿入したところ、回転した。

グリースが固まっていたため、動きがよくなかったので、100円ショップで、機械油を買って、少し挿した。あまり、注ぐと油切れの原因になるので、グリースがやわらかくなる程度。

この中古のプレイヤーに、新品で買ったUSBプレイヤーの電子部品を継ぎ足した。まあ、早い話が合体させたわけだ。機械系は、中古のプレイヤー、アンプ系およびAD変換はUSBプレイヤーという、新旧織り交ぜた進化系プレイヤーとなった。

しかしである、MMカートリッジのパワーだけでは、USDへの信号が弱いと見えて、MP3ファイルに変換した音は、とても小さかった。

すこし、増幅してやらなければならないようだ、自分でアンプを作るのも手だが、部品を集めるのも大変だ。そこで、またオークションに頼ってしまった。

フォノアンプの落札価格は3000円くらいである。分解して使用するので、傷があってもかまわない。安く落札したい。
何回か、トライしたがなかなか落札できない。ええいっとクリックしていたら、3350円まで跳ね上がってしまった。次の出品にかけようと思っていたら、自分が3350円で落札してしまった。
これだから、オークションは怖い。振込み代160円と送料600円で4110円にもなってしまった。
これもまた経験と考えることにする。

いよいよ改造の第2段。

その前に、外付けでフォノアンプをつけてみた。十分な音量となったが、ブーンという低いハム音が気になる。

電源ノイズが回りこんでいるらしい。

ノイズがとれれば御の字。

あとは、やるだけ。

もう少しだけ遊ぼう。
posted by 帰ってきたイカルス at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月10日

正義とは?



正義とは、何ぞやと考えてみようと久々に思ったしだいである。

まず、それは絶対、はたまた相対かと分けてみようではないか?
この問題の想定で、私はある人は絶対正義はあるという、またある人はそんなものはない、あるのは相対的な正義だという、と思う。おそらくこの人たちの間には、社会が違う、政治が違う、あるいは身分が違う、宗教が違う、文化が違うと思われる。
とここまでは、私の想像である。しかし、あながち間違っていないと思っている。

戦争でも勝てば官軍というように、正義は相対的である。これは、歴史が物語っており、事実である。

では、絶対的正義とはなにか。
これを唱えるものは、理想主義者か宗教家であろう。人間が自信を持って絶対正義があるという明言するならば、その人は政治的な独裁者か、あるいは精神的な独裁者(宗教家)である。大体がこの2つを結集して、戦争への突入を正当化しているのである。
それは、過去の日本もドイツもアメリカもロシアもそうである。未だに北朝鮮などはこの歴史に終止符を打っていないようだが。

人間の歴史は、相対的な正義の歴史と絶対的な正義の歴史の積み重ねである。

また、日本においては、仏教と神道が組み合わさった日本仏教では、公然と禊(ミソギ)をすると清くなるらしい。こんな都合の良い宗教は、他にはない。
キリスト教でも懺悔はあるが、社会的に糾弾された問題に対して何の効果もない。ところが、日本の政治家たちは禊という古い言葉遊びを持ち出して、社会的に自分の身が清らかになったと公然とおっしゃる。
これも不正義の半回転は正義だという。

絶対正義とは神がのたまった正義。
相対正義は、人間がまたは人間社会が作り出した正義。

と一応分類してみる。
しかし、神はいったい誰が作り出した?

それは人間である。

つまるところ絶対正義というものは存在しないということを私は述べたかったのだ。

これも、暇な時間の、ただの言葉遊びにすぎない。
posted by 帰ってきたイカルス at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 正義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする